『養生訓』を読む 第10回
人の命は我にあり、天にあらず
原文(巻之一・総論上・7章)
人の命は我にあり、天にあらずと老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れ付たれども、養生よくすれば長し。養生せざれば短かし。然れば長命ならんも、短命ならむも、我心のままなり。身つよく長命に生れ付たる人も、養生の術なければ早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。是皆、人のしわざなれば、天にあらずといへり。もしすぐれて天年みじかく生れ付たる事、顔子などの如なる人にあらずむば、わが養のちからによりて、長生する理也。たとへば、火をうづみて炉中に養へば久しくきえず。風吹く所にあらはしおけば、たちまちきゆ。蜜橘をあらはにおけば、としの内をもたもたず、もしふかくかくし、よく養なへば、夏までもつがごとし。
現代語訳
老子は「人の命は天ではなく、自分の中にある」と言いました。人の寿命は、もちろん天から授かったものではありますが、養生をよくすれば長く保つことができるし、養生を怠れば短くなる。つまり、長生きするか早死にするかは、自分の心がけ次第であるということです。生まれつき体が強く、長命であるはずの人でも、養生を知らなければ早死にする。逆に、生まれつき虚弱で、短命であろうと思われる人でも、養生を大切にすれば長生きする。
これらはすべて人の努力によるものであり、「天命ではない」と老子は言っています。顔子(顔回)のように、特別に寿命が短く生まれついた人でない限り、自分の養い方しだいで寿命は延びるというのです。
たとえば火は灰に埋めて炉の中で大切にすれば、長く消えない。しかし、風の吹く場所にむきだしにしておけば、すぐ消えてしまう。蜜柑(みかん)も、むき出しのまま置けば一年どころか数ヶ月ももたない。しかし、深くしまい、適切に保管すれば、夏までもつことがある。人の命も同じである。
解説
本来長いはずの寿命
まだまだ総論は続きますが、ここは前回の9回目に書いたものをさらに強調した内容となっています。章を違えながらもこのように繰り返し書くということは、益軒は、よっぽどこの内容を強く伝えたかったに違いありません。ここでは老子の言葉を引用しながら、切々と説いていきます。
江戸時代においては、「寿命は天が決めるもの」という考えが一般的でしたので、それを言い訳に、自分の命を蔑ろにしている人を見るに堪えなかったのでしょう。
孔子「寿命のかなりの部分は、自分の生き方で変わる」
これは現代医学の視点から見ても先進的な考え方です。
- 不摂生 → 病 → 短命
- 節制+心の安定 → 健康 → 長寿
これはまさに現代の予防医学そのもの。
- 灰の中でそっと守られた火は長く保つ
- 丁寧に保存された果実は長持ちする
こうした比喩は江戸時代の生活を基づいているのでしょう、生活感のある喩えをすることによって、養生を身近に感じてほしいという益軒の配慮なのかもしれません。
まとめ 源保堂鍼灸院の見解
東洋医学では、寿命や体質には二つの側面があると考えています。
① 先天(うまれつき)=宿命
先天とは、両親から受け継いだ体質のこと。現代医学で言えば、遺伝的な要素のことを言います。ここは変えられません。
② 後天(くらし)=養命
後天とは、生命を得た後に、生命を維持していくためにする活動全体のこと。具体的には食事、睡眠、心の持ち方、生活の態度などになります。
ここは意識さえ変えれば誰でも変えられます。
“日々の生き方(養生)” の差
あえて狭めて言えば、養生とは“日々の生き方”。
そして、それを“見直す作法”が養生。
同時に、養生とは、“気を守り、気を育てる技術”でもあります。
さらに、自分で選択できるものである、つまりは、先天という運命を超えることができるという、力強い生き方が養生であるということになります。
東洋医学では、「気」は丁寧に扱えば増え、乱暴に使えば減るということを繰り返し、繰り返し訴えている、まさに“生命のための医学”という言い方ができます。ここで改めて、時代を超えて読み継がれる『養生訓』の奥深さを感じるところであります。
定本として『養生訓・和俗童子訓』(岩波文庫)を使用
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源保堂鍼灸院・院長
瀬戸郁保 Ikuyasu Seto
鍼灸師・登録販売者・国際中医師
東洋遊人会・会長/日本中医会・会長/東洋脉診の会・会長
東洋医学・中医学にはよりよく生活するための多くの智慧があります。東洋医学・中医学をもっと多くの方に身近に感じてもらいたい、明るく楽しい毎日を送ってほしいと願っております。
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