『謝謝、北京!ー北京研修日誌(8)』万里の長城・景山公園へ
世界遺産「万里の長城」へ
感慨深く、万里の長城へ
3年前に「北京中医薬大学・日本校(現・日本中医学院)」に入学したとき、その時点で北京研修に行くと決めました。
それを目標に、この三年間勉強も仕事もがんばっていこうと奥さん(薬膳部長・佳子)と約束もしました。
そのときにいただいていた北京研修の案内に、お好みで自由時間に万里の長城に行くツアーもあるとありましたので、どうせ行くなら万里の長城も行こうねと、そのこともすでに話をしていました。
すると、薬膳部長の佳子が、
「おじいちゃんから、戦争のときに万里の長城を軽トラで走ったっていう話を聞いたことがある。」と話してくれました。
おじいさんにどんな任務があったのか、誰かを追いかけていったのか、今となっては謎ですが、不思議なご縁を感じました。
世界遺産の中には、たくさんの犠牲を強いて作られたものや、悲劇の舞台になった場所も少なくありませんが、今はこうして世界的な観光地としてそれぞれの国の観光資源となっていることを考えると、その犠牲への鎮魂になり、カルマは巡り巡って昇華されるものなのかと思ったりもします。この佳子のおじいさんのエピソードも、長い長い万里の長城の歴史の小さな一ページなのか。
私は小学校のときに、万里の長城の写真を見て、すっげぇなぁ!と感嘆し、仲のよかったW・T君と、“大人になったら絶対行こうな!”なんて子供ながらにたわいもなく約束をしたことを覚えています。
私は、自分で義理堅いというのも変なのですが、約束はきっちりと守るほうですから、この記憶が残っている限りは万里の長城は絶対に行けないなぁとずっと思っていました。幼い子供がその場の気分でした約束でも、なぜか強く思い続けていること、それは譲れない。
しかし、でも、もうウン十年過ぎているんだから、もう時効をとっくに過ぎているかな・・・。
もしW・T君にどこかで会ったら素直に謝ればいいか・・・。
W・T君、このブログを見たら電話ください!
よし、行こう!
万里の長城へ!
ということで、二人の思いはそれぞれに、行く先は同じベクトル、万里の長城!
あこがれの万里の長城へ到着
朝早く、万里の長城へ向かいました。
日本中医学院の李紅先生がアレンジメントしてくれた「万里の長城日帰りツアー」です。
北京市内を抜けるときは、それなりの渋滞がありましたが、それでも思ったほどでもなく、高速道路を通って、順調に万里の長城へ。
途中の田舎道、田舎の風景も楽しみながら、そしていよいよ長城が近づいてくると、普通の人が立ち寄る観光ルートではない長城がちらほら見えはじめてきて、いやがおうにもテンションが高まります。
そして、無事に到着。
マイクロバスを降り、一行はてくてくと長城の入口まで歩いていきまして、ドキドキはますます強くなっていきます!
そして、入口に。
中国の国旗が高らかにたなびいています。
今日は何よりも快晴です。
昨日の北京は雨が降ったのですが、その雨が空気をきれいなものとしてくれて、この日は絶好の万里の長城日和に。
青空がまぶしく、そして山々の紅葉もきれい。
空気もおいしい。
そんな景色を見ながら・・・
やっと来たんだ、憧れていた万里の長城!!
佳子と二人顔を見合わせて、「やっと来たねー」「うん」と言葉を交わしました。
万里の長城に入るゲートはこんな感じです。
男坂と女坂、どっちを選ぶ?
このゲートをくぐると、もうそこは万里の長城。
右に行けば比較的穏やかな女坂。左に行けば、かなり急坂な男坂。
さぁ、どっちを選ぶ?
私たちは、人が少ない男坂にしようと出発しました。
しかし、万里の長城の経験者に聞きますと、男坂は怖くて手を着いて昇ったところもありましたという方もありましたので、それなりの覚悟をしてまして、一先ず行けるところまで行こうということに。
“手を着いて昇った”だなんて、ちょっと大袈裟なんじゃない?なんて思いながら、日頃の運動不足も省みずに昇りはじめたわけです。
急は急だけど、でも、それほどでも・・・?
私は箱根山育ち、金太郎の意地を見せてやろうじゃありませんか!
とかいいながら、てくてく進んでいったわけでありますが、徐々に徐々に、男坂の急斜面が本気を出してくるのです。
だいぶ昇ってきたかなぁと思って振り返ると、さっきくぐってきたばかりのゲートはかなり小さく見えていました。
そして男坂の反対側に続く女坂が尾根伝いに伸びているのが分かります。
長城を昇り始めて、それほど時間が経っていたとは思わなかったのですが、意外と上まで来ていたようです。
斜面が急でしたので、上を見上げて歩いていては反っくり返ってしまいます。
だから、“下を向いて歩こう”、そう、ひたすらに。
でも、いよいよもってこれは無理だろうと。
仮に最後まで登れても、帰りが怖いね、ということで、急な階段のところで一休みして、ここを越えたところで引き返そうということに。
もう昇るのは完全に諦めて食事をしている家族も。
のんびり、のどかでいい光景です。
“世界遺産でごはん”、これもまた一つの楽しみ方。
そして女坂へ
いやはやこれ以上は無理・・・。
ということで、急な坂道を降りて今度は反対側の女坂に行こうということに。
しかし、男坂ほどではないにせよ、女坂だって決して軽いわけではありません。
負けず劣らず急なところもあります。
まだ先は長い・・・。
しかしツアーの集合時間はもうそこまで。
万里の長城を十分楽しんだところで、長城を後にしたのであります。
石だたみはつるつるなところもありましたので、天気によっては登るのはたいへんです。
もし行かれることがありましたら、少なくとも足回りはしっかりしたものを用意しておきたいですね。
そして景山公園へ
万里の長城の後、途中でお昼ご飯を食べ、マイクロバスは北京へ戻りました。
そして北京では、李紅先生が一押しでプランに入れてくれた「景山公園」へ。
とある患者さんから、「北京に行ったら景山公園に行ったらいいよ。北京の街を一望できるよ。」というお話しを聞いていたので、時間があったら行ってみたいなと思っていたところです。ありがたいことです、ほんとうに。
景山公園をネットで調べてみると、明代に紫禁城を作ったときに、元の宮殿であった延春閣の跡地に、堀を掘った時の残土で五つの峰を形成する形に作られたものだそうです。
紫禁城に殺気が入ることを防ぐために、紫禁城の真北に作られたと言われている。これは背山面水という風水の考え方を実現したもの、だそうです。
ほとんどWikipediaから引用ですが(苦笑)。
「背山面水」という風水の話は今回調べて始めて知りましたが、私は登ったときに思ったのです、
「聖人は南面す」という古医書の言葉を・・・。
南面したとき、背中は北ということに。
つまりは、背中に北斗七星を背負うということが皇帝なのだと・・・。
ということは・・・?
なるほど、そういうことかも?
と、これは私の妄想なのではっきりとは申し上げられませんが、そんな思いを馳せながら。
紫禁城と景山公園との位置関係を示す地図を撮るために、人が輪になって囲います。
景山公園から眺める紫禁城。
映画、『ラストエンペラー』を思い出しますね。
景山公園の下にはお土産コーナーがありました。
けっこう観光地的なおもしろいのがありますよね、栓抜き人気なのかな?
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