『俳優のノート』山崎努著
仕事について考える
仕事って何だろう・・・。
お金を稼ぐ手段?
それも間違っていないだろう。
お金がないと生活できないのだから、仕事はその手段であって悪いことはあるまい。
しかし、人生の多くの時間を割くのが仕事。
お金だけの問題ではないだろうとも思う。
といって、かっこよく、「仕事は人生そのもの」とか、「社会貢献のため」とか言い切れるだろうか?
果たして自分はどうだろう・・・?
鍼灸という仕事をしているが、自分はこの仕事とどのように向き合ってきたのだろうか。
そして、どこへ向かってこれらからこの仕事を全うしていけば良いのだろうか。
最近は、なんだか日々、臨床の忙しさにかまけていて、“生きる”という底流に流れる根本を見つめていないような気がしてならない。
私の場合は、そこを見つめていないと、ブレてしまうことが多いように思う。
だから今一度、自分の中での仕事観、人生観を見つめ直していかなくてはいけないことに気がついた。
しかし、あまりに哲学的なことを考えても仕方がないような気がする。
エーリッヒ・フロムの『生きるということ』も読んでみたのだけれど、どうもまだるっこしい。言っていることはよく分るのだけれど。
私は鍼灸師という臨床家。
その立ち位置はこれからも変ることがないから、そこからはじまるもの。
だから、ライブというのか、もっと色濃く職業そのものにフォーカスしたものが良いだろうと考えてみた。
以前、サッカー選手の本をいくつも読んで学んだことが多くあったように、自分からちょっと遠い職業の人の本を読んでみよう。
そうだ、俳優という仕事の本を読んでみよう。
『俳優のノート』
そこで手にしたのが、山﨑努氏の『俳優のノート』という一冊です。
渋くて、存在感があって、威厳があって、孤高の存在の印象。
俳優という職業について知るならば、先ずは一流について知ろう。
そうだ、俳優自身が語った独白にこそ、生きるヒントがあるに違いない!
この『俳優のノート』は、俳優・山﨑努氏がシェイクスピアの『リア王』を演じたときの日記。
ノートにして、なんと八冊にも及ぶ日記を書きとどめていたということです。
そのノートの冊数だけでも、山﨑努氏が、どのような姿勢で『リア王』に挑んでいったのかが分るわけですが、それだけで知った気になってはいけない。
大事なのは冊数ではない、中身だ。
ノートの中身、それを開いて、山﨑努氏の情熱をそこから感じ取ってこそなのだ。
いつの頃だったか、ブログという媒体が目新しくてチヤホヤされた頃、芸人やタレントさんなど、こぞってそのブログを書籍化するということがあった。とても安易な企画だなと思って見ていましたが、案の定、本屋さんで手に取ってみると、どうも味気ない。つまらない。
高田純次の『適当日記』というのがあったが、なにかヒントがあるかと思って読んだことがあるが、ほんとにテキトーで何にもなかった・・・。まぁ、これはこれで本領発揮で清々しくて、嫌いじゃないが、でも、そうじゃないんだ。
日記という同じ土俵であっても、こんなにも違うものかと思うわけでありますが、比べる相手が違うのかと再認識。
いや、しかし、生半可ではないのです、この山﨑努氏の『俳優のノート』は。
とにかく重厚で、示唆に富んでいるのだ。
俳優という仕事が、ここまですさまじいということは正直知りませんでした。
どんな職業でも、文字通り“命をかける”くらいの集中力を込めることはできるわけですが、どれほどの人がここまで真剣に自分の仕事に向き合っているんだろうか。
私自身も、未だにこの鍼灸という仕事をすることに一抹の不安や迷いを抱くことがある。
それがたぶんに集中力の現れの一つかもしれないのだけれど、そこをひとつぽーんと向こう側に乗り越えてみたいといつも思っている。
そんな自分へ、この山﨑努氏の『俳優のノート』は様々な意味を問いかけてくれている。
この歳になって、こんな素敵な本に出会えるなんて夢にも思っていなかった。
胸がキューンとなる、この鼓動、この高鳴りは、まだまだ先があるよ、真摯に向き合えという山崎努氏からのメッセージなのだと感じるのだ。