貝原益軒
貝原益軒について
『養生訓』の作者
貝原益軒は、“寛永通宝”でお馴染みの寛永の七(1630)年に、筑前(福岡県)の黒田家の下級武士の家に生まれました。名前については、名は篤信と言いますが、柔斎、損軒などと号し、晩年に益軒と改めています。
19歳の時に黒田家に仕官しましたが、すぐに免職となって7年間の浪人生活を送ります。この間、江戸に出て医者を志すも、学識が認められて27歳で再就職し、71歳まで藩士兼学者としてその職を全うしました。益軒は小さい頃から苦労を重ねてきましたが、『養生訓』を読みますと、その分、家を大事にし、勤勉第一、生活も慎ましやかに、そして身体を大事に日々を重ねてきた様子が伺えます。
益軒の著書としては、今回ご紹介する『養生訓』が最も有名ですが、人生の楽しみを説いた『楽訓』や、故郷の地誌である『筑前国続風土記』、そして博物学の百科事典として『大和本草』というものを著しており、儒学者としてだけではなく、科学者としての一面もありました。こういった著作物からも分かるように、『養生訓』は、当時の科学的な見解も含めた養生書であることを察することができます。

源保堂鍼灸院・院長
瀬戸郁保 Ikuyasu Seto
鍼灸師・登録販売者・国際中医師
東洋医学・中医学にはよりよく生活するための多くの智慧があります。東洋医学・中医学をもっと多くの方に身近に感じてもらいたい、明るく楽しい毎日を送ってほしいと願っております。
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