骨湯(こつゆ)という食文化
食べものをムダにしないという心
先日、患者様よりアジの開きをいただきました。
アジの開き、私にとってそれはごちそうであります。
ごはんがすすみます。
最近はお魚の消費が減ってきているといいますが、魚も身体に必要な栄養が一杯ありますので、これからも変わらず食べてもらいたいと願っております。
食習慣というのは小さい頃から積み重なっていくもなので、できたら食の好みができあがる幼少期の頃から、お魚も食卓に上がってほしいものだと常々思ったりします。
骨があるからめんどくさいとか、骨があるから危ないとか・・・。
確かに魚を上手に食べるのは難しいですよね。
でも、もう少し一歩踏み出してみてはどうでしょうか?
骨があっても、小さな骨くらいだったらよく噛んで食べよう、そうすると魚の味もしっかり感じられるし、噛む習慣がつくし、食材全体をしっかり味わい尽くす、つまりは人生の様々なものを大切にする、そんな食生活が育つのでは、と思います。
骨湯(こつゆ)という食べ方
お魚を食べると骨や頭の部分が残ります。
ふつうはそのまま捨ててしまいますよね?
だってもう食べるところはないでしょ?
そうです、確かにもう身はないですし、そういう意味では食べるところはありません。
しかし日本には、食べ終わった後の魚にお湯をかけて汁にする、骨湯(こつゆ)という食べ方があります。
このような感じで、お茶碗に骨や頭を全て入れてお湯をかけます。
少しお醤油をかけると味が深まりますので、その辺りはお好みで調整して下さい。
このようにお湯をかけるだけで、お魚から出汁が染み出てきてとても滋味を感じることができます。
腎・骨を強くする
この骨湯という食べ方が礼儀にかなったものかどうかはわかりません。
公の場でこんなことをしたら、なんて行儀が悪いの!と叱られるかもしれません。
しかし、最後まで命をいただくという観点からすると、この骨湯というのは良いことではないでしょうか?
東洋医学的に考えると、骨は腎に配当されます。
腎は生命力の基になる精気が格納されているとても大事なところ。
骨をいただくということは、腎を強くする、つまりは精気を補充することになります。
そしてその部分をいただくということは、その部分強くなるというのが薬膳の思想ですから、骨湯によって骨の強化も期待できます。
感謝の仕上げ
食事というのは、自分の生命を維持することであります。
それは相手の命をいただくということでもあります。
それほど厳粛なことであるならば、最後まで感謝していただくことが本当の礼儀というものとも考えます。
お茶碗で骨湯をすると、お湯ですすいだようになりますのでお茶碗がきれいになります。
もちろん食後に食器を洗いますが、その前に骨湯をしておくと洗いやすくなります。
以前お寺で食事をしたときに、最後にお茶をお茶碗に注ぎ、たくわんでお茶碗を掃除しながらお茶とたくわんをいただくということを教わりました。これもまた、食器を洗ってくれる方が楽にできるようにという、食事をする側の配慮だということだそうです。
食材に対して最後まで礼儀を尽くす。
そして食事を出してくれる方にたいしても、きれいに食べて食事をいただく喜びを表現する。
このように骨湯というのは昔の人の智恵の一つだったように思います。
冬は腎の季節。
骨にとっても大切な時季。
お魚を食べた後は、骨湯も召し上がってみてはいかがでしょうか?
参考文献
表参道・青山・源保堂鍼灸院
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