『養生訓』を読む 第19回|身体を徳で治める養生
今回の『養生訓』は・・・
前回は、薬や鍼灸に頼る前に、まず日々の養生を大切にすることが説かれていました。
今回、貝原益軒はさらに一歩進んで、養生を「治療の前段階」としてではなく、日々の暮らしそのものとして描いています。
古の君子は、礼楽を行い、弓や馬術を学び、身体を動かし、歌い、舞うことで血脈を養いました。ここで大切なのは、養生が決して苦しい我慢だけではないということです。身体を動かし、音楽に親しみ、心を整え、欲を節度にとどめる。そうした暮らしの全体が、病を遠ざける力になるのです。
この章の後半で、益軒は身体を「国」にたとえます。徳をもって国を治めれば乱は起こらないように、日々の養生によって身体を整えていれば、病という乱れも起こりにくくなる。今回の章は、身体を力で攻めるのではなく、徳で治めるという、養生の大きな見取り図を示しています。
この回の『養生訓』の要点
原文(巻之一・総論上・16章)
古の君子は、礼楽をこのんで行なひ、射・御を学び、力を労動し、詠歌・舞踏して血脈を養ひ、嗜慾を節にし心気を定め、外邪を慎しみ防て、かくのごとくつねに行なへば、鍼・灸・薬を用ずして病なし。
是君子の行ふ処、本をつとむるの法、上策なり。
病多きは皆養生の術なきよりおこる。
病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母よりうけし遺体(ゆいたい)にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療(いや)すは、甚(はなはだ)末の事、下策なり。
たとへば国をおさむるに、徳を以すれば民おのづから服して乱おこらず、攻め打事を用ひず。
又保養を用ひずして、只薬と針灸を用ひて病をせむるは、たとへば国を治むるに徳を用ひず、下を治むる道なく、臣民うらみそむきて、乱をおこすをしづめんとて、兵を用ひてたたかふが如し。
百たび戦って百たびかつとも、たつと(尊)ぶにたらず。
養生をよくせずして、薬と針・灸とを頼んで病を治するも、又かくの如し。
現代語訳
昔の立派な人たちは、礼や音楽を好んで行い、弓や馬術を学び、身体をよく動かし、歌を詠み、舞を舞って、血脈の巡りを養っていました。
また、欲望を節度の中にとどめ、心気を安定させ、風寒暑湿などの外邪を慎んで防いでいました。
このようなことを日々行っていれば、鍼・灸・薬を用いなくても病気になることはありません。
これこそが君子の行うところであり、根本を大切にする方法であり、上策です。
病気が多いのは、すべて養生の術を知らないことから起こります。
病気が起こってから薬を飲み、痛い鍼を受け、熱い灸をすえ、父母から受け継いだ大切な身体を傷つけ、火をつけ、熱さや痛みに耐えながら身を責めて病を治そうとするのは、まことに末のことであり、下策です。
たとえば国を治めるとき、徳をもって治めれば、民は自然と従い、乱れは起こらず、攻めたり打ったりする必要はありません。
一方で、身体を保養せず、ただ薬や鍼灸だけで病を攻めるのは、国を治めるのに徳を用いず、臣民を治める道もなく、民が恨み背いて乱を起こした後に、それを鎮めようとして兵を用いて戦うようなものです。
たとえ百回戦って百回勝ったとしても、それは尊ぶには足りません。
養生をよくせず、薬や鍼灸を頼みにして病を治そうとするのも、またこれと同じなのです。
身体を「国」として見る養生
この章で益軒が特徴的なのは、身体を一つの「国」にたとえているところです。
よい政治とは、乱が起こってから兵を出して鎮めることではありません。
日ごろから徳をもって民を治め、そもそも乱が起こらないようにすることです。
身体もこれと同じです。
病が起こってから、薬や鍼灸で病を攻めることは、乱が起こってから兵を出すようなものです。必要な場合にはそうした対応も大切ですが、それを誇るよりも、まず乱れが起こらない身体を育てることの方が、はるかに根本的です。
益軒がいう「本をつとむる」とは、この根本を大切にすることです。
身体をよく動かし、心を穏やかにし、欲を節度にとどめ、季節の外邪を避ける。そうした日々の積み重ねが、身体という国に秩序をもたらします。
養生とは、病を敵として攻めることではなく、身体の内側に平和を保つことなのです。
礼楽・歌舞・身体活動が血脈を養う
この章では、古の君子が「礼楽」を行い、「射・御」を学び、「詠歌・舞踏」をして血脈を養ったとあります。
礼楽とは、単なる儀式や音楽ではありません。心を整え、人との関係を調和させ、身体の振る舞いを美しくするものです。
また、弓や馬術は身体を使う学びです。歌や舞も、呼吸を深め、身体を動かし、気血の巡りを助けます。
ここに描かれている養生は、単に「食べすぎない」「無理をしない」という消極的なものではありません。
身体を動かす。声を出す。音楽に親しむ。姿勢を整える。人と調和する。
そうした生活文化そのものが、血脈を養い、心気を定める養生になっているのです。
現代でいえば、散歩、軽い運動、歌、音楽、趣味、呼吸、姿勢、季節に合わせた暮らしなどがこれにあたります。養生は、ただ病を避けるための注意事項ではなく、生活を豊かにするための知恵でもあります。
源保堂鍼灸院の見解|身体を攻めず、整う方向へ導く
鍼灸院である私たちにとって、この章はとても大切な示唆を含んでいます。
鍼灸は、病を力でねじ伏せるためのものではありません。身体の中にある巡りや回復力を引き出し、整う方向へ導くための方法です。
益軒が国を治めることにたとえたように、身体もまた、無理に攻めればよいというものではありません。強すぎる刺激、過剰な治療、生活を顧みない施術依存は、かえって身体の秩序を乱すことがあります。
源保堂鍼灸院では、施術そのものだけでなく、患者さんの日々の暮らし方を大切に考えています。
身体を動かすこと。
食べすぎないこと。
睡眠のリズムを整えること。
季節の変化に合わせること。
そして、音楽や趣味、人との関わりの中で心身をゆるやかに養うこと。
こうしたことがあってこそ、鍼灸はより自然に、より深く働きます。
病を攻めるのではなく、身体が自ずと整う方向へ導く。
これが、東洋医学における本来の養生であり、源保堂鍼灸院が大切にしたい姿勢です。
まとめ
この章で益軒が伝えているのは、病気になってから治すことよりも、病が起こりにくい日々を育てることの大切さです。
古の君子は、礼楽を行い、身体を動かし、歌や舞によって血脈を養い、欲を節度にとどめ、外邪を防いでいました。
ここで描かれている養生は、単なる我慢や節制ではありません。
心身を整え、暮らしにリズムを与え、身体の内側に乱れが起こらないようにする生活の知恵です。
病を攻めて勝つことよりも、病という乱れが起こりにくい身体を育てること。
その方が、はるかに根本的で、はるかに尊い。
養生とは、身体という国を徳で治めることなのです。
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定本として『養生訓・和俗童子訓』(岩波文庫)を使用
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源保堂鍼灸院・院長
瀬戸郁保 Ikuyasu Seto
鍼灸師・登録販売者・国際中医師
東洋遊人会・会長/日本中医会・会長/東洋脉診の会・会長
東洋医学・中医学にはよりよく生活するための多くの智慧があります。東洋医学・中医学をもっと多くの方に身近に感じてもらいたい、明るく楽しい毎日を送ってほしいと願っております。
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