『養生訓』を読む 第二回
命は天地父母からの授かりもの
原文(巻之一 冒頭・前半)
人の身は父母を本とし天地を初とす。
天地父母のめぐみをうけて生まれ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。
天地のみたまもの(御賜物)、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。
是天地父母につかへ奉る孝の本也。
身を失ひては、仕ふべきやうなし。
わが身の内、少なる皮はだへ(皮膚)、髪の毛だにも、父母にうけたれば、みだりにそこなひやぶるは不孝なり。
現代語訳
人の身体というものは、父母から受け継いだものを根本としており、さらにその大元には天地が初まりとなる。
つまり、私たちの身体は天地と父母の恵みを受けて生まれ、そしてそれらによって養われ育てられてきているのが私たちの身体なのである。自分の身体だからといって、決して自分だけの所有物ではありません。
私たちのこの身体は、天地から授かった尊いものであり、父母が残してくれた大切なものであるから、慎んでよく養い、損なったり傷つけたりせず、天から授かった寿命をできるだけ長く保つように努めなければなりません。
これこそが、天地と父母にお仕えする孝の思想の原点なのです。
授かった命を安易に失ってしまうならば、どこにもお仕えしようにもできません。
私たちの身体は、どこをとっても、ほんのわずかな皮膚や髪の毛でさえ、父母から受け継いだものですから、みだりに傷つけることは不孝なことのです。
解説
『養生訓』の基本思想
江戸時代のベストセラーである『養生訓』の冒頭は、養生の対象である生命が一体どこから来たものなのかを説いています。どの書物もそうですが、冒頭は、いわゆる“つかみ”であります。この書物がどのような基本指針で書かれているのか、いわば『養生訓』全体の土台となる思想が示されています。
そこで、ここの文章を要約していくと、「自分の命や身体は私有物ではなく、天地と父母からの授かりものである」ということになるかと思います。
とかく私たちは、自分の体を粗末に扱いがちで、“どうせ減るものではないし!”とか、“自己責任でやってるだから!”と言って乱暴に生命を弄ぶことがあります。それは意識的であったり、無意識的であったりもしますが、いずれにせよ生命というものに対して無知であることから生じるように思います。
最近若い人の間では、“親ガチャ”という言葉があるようですが、これは、自分は親を選んできたわけではない、だから親によって人生の幸不幸が分かれるというのが主旨だそうですが、私なども、若い頃は三高(高身長・高学歴・高収入)がもてはやされた時代ですから、どれも叶わない私は、とくに遺伝に左右される低身長などは親のせいだと思い込み、親を恨んだこともないわけでもありません。
しかし、このような条件でこの世に生まれ落ちたことは致し方ないことで、これを前提として生きるということがそもそもの人生の課題なのだろう、この与えられた条件の中で精一杯生きることが大切であることを感じるようになり、その思いは無くなりました。むしろ、この条件を与えてくれた両親、そして天地というものへの感謝と畏敬の念が生じてきたものです。
父母、そしてその上にある天地が与えてくれたこの肉体の条件を、素直に受け入れること、そしてそれを慈しみ、大切にしていくことが親孝行にもなる。逆に、この身体は自分のものではないとうそぶくが如く粗末に扱うことは、「不孝」であり、それは「不幸」にも通じるのではないかと思うのであります。
最も身近で、最も労わることができるこの身体を大切にすること、それがそのまま親孝行になり、自然への感謝に通じ、そしてそれが自分を幸せに導いてくれるのであれば、今すぐ養生をしてみるのが一番ではないかと思うのであります。
未病ケア・予防・健康とは
父母、天地、孝というと、どこか抵抗を感じる方も多いかもしれません。貝原益軒は儒学者でもありましたから、儒教の影響が見え隠れするは致し方ないことであります。しかし、だからといって全否定したり、この思想を拒否したままにしておくことはもったいないのではないかと思います。
そこを少し割り引いて、現代に置き換えて以下のように考えてみたらどうでしょうか。
- 身体をいたわることは「自分のため」だけでなく、「ご先祖や自然への敬意」でもある
- 命や健康は一方的な権利ではなく、預かりものとして責任を持って守るものという価値観になります。
鍼灸院の視点で言えば、この考え方は予防医学や未病ケアの本質に通じています。
身体を損なってから慌てて整えるのではなく、日々の生活の中で大切に扱うことが、未来の健康を守ります。
まとめ
『養生訓』の冒頭では、命は自分の所有物ではなく、天地と父母から授かったものだと説かれています。
東洋医学の根本的な考え方にも、「人は自然の一部であり、天地の気と父母の精から成り立つ」という生命観があります。
これはまさに、益軒が語る「天地父母のめぐみ」そのものです。
この思想を現代に生かすと、次のような実践につながります。
- 身体を粗末に扱わない
体調を崩しても無理を続けたり、睡眠不足や暴飲暴食を重ねることは、命を授けてくれた天地・父母に対しても不敬にあたります。
健康を守ることは、自分のためだけでなく、関わるすべての人への感謝の形でもあります。 - 予防の意識を持つ
東洋医学の理想は「未病を治す」。
これは病気になってから慌てるのではなく、普段から心身を整え、バランスを崩さないようにすることです。
益軒のいう「養う」「そこなわない」は、この予防の姿勢と完全に一致します。 - 孝の心を日常に落とし込む
養生は特別なことではなく、日々の暮らし方そのものです。
食事、睡眠、心の持ち方を整えることは、命を与えてくれた存在に報いる行為だといえます。
源保堂鍼灸院では、こうした思想を背景に、
「治療」だけでなく「養生の提案」を大切にしています。
患者さんにとって「今」の生活の仕方こそが、未来の健康を形作る最大の要素だからです。
定本として『養生訓・和俗童子訓』(岩波文庫)を使用
『養生訓』に関連する本

源保堂鍼灸院・院長
瀬戸郁保 Ikuyasu Seto
鍼灸師・登録販売者・国際中医師
東洋医学・中医学にはよりよく生活するための多くの智慧があります。東洋医学・中医学をもっと多くの方に身近に感じてもらいたい、明るく楽しい毎日を送ってほしいと願っております。
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