『養生訓』を読む 第21回|寿命は、自ら養うもの
今回の『養生訓』は・・・
人の寿命は、何によって決まるのでしょうか。
生まれつきの体質でしょうか?
それとも時代や環境?
はたまた病気や偶然?
もちろん、私たちの力だけではどうにもならないこともあります。けれども貝原益軒は、『養生訓』の中で、短命の多くは生まれつきだけによるものではなく、日々の暮らしによって自ら身体を損なっていることに原因があると説きます。
この言葉は少し厳しく聞こえるかもしれません。けれどもその根底にあるのは、「命は養うことができる」という強い希望です。今回の章では、寿命を天任せにするのではなく、日々の養生によって命を大切に保つという考え方を読んでいきます。
この回の『養生訓』の要点
原文(巻之一・総論上・17章)
人の身は百年を以(て)期(ご)とす。上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり。世上の人を見るに、下寿をたもつ人すくなく、五十以下短命なる人多し。人生七十古来まれなり、といへるは、虚語にあらず。長命なる人すくなし。五十なれば不夭と云て、わか死にあらず。人の命なんぞ此如くみじかきや。是、皆、養生の術なければなり。短命なるは生れ付て短きにはあらず。十人に九人は皆みづからそこなへるなり。ここを以(て)、人皆養生の術なくんばあるべからず。
現代語訳
人の寿命は、百年を一つの目安とするもの、つまり養生に努めれば百才まで生きられるのです。
百歳を上寿、八十歳を中寿、六十歳を下寿といいます。
(この江戸時代においては)六十歳以上まで生きることができれば、まず長生きといえるでしょう。しかし世の中の人を見ると、下寿である六十歳を保つ人は少なく、五十歳以下で命を終える人も多くいます。そのため、「人生七十古来まれなり」という言葉がありますが、これは決して大げさな言葉ではありません。実際に、長命の人は少ないものです。五十歳まで生きれば「不夭」といって、若死にではないとされます。
それでは、なぜ人の命はこのように短くなってしまうのでしょうか。
それは、皆が養生の術を知らないからです。
短命であるのは、生まれつき寿命が短いからだけではありません。十人のうち九人までは、自ら身体を損なっているのです。だからこそ、人は誰もが養生の術を学んでおく必要があるのです。
『養生訓』解説|寿命を天任せにしない
この章で益軒は、人の寿命について語っています。「人の身は百年を以て期とす」とは、人の生命は本来、百年を一つの目安として考えられるということです。もちろん、寿命はすべて自分の努力で決まるわけではありません。病気、環境、時代、事故、体質など、人の力だけではどうにもならないこともあります。しかし益軒がここで強調しているのは、命を天任せにしてはいけないということです。生まれつきや運命のせいにする前に、まず自分の暮らしを省みる。飲食を乱していないか。身体を動かさず、気血を滞らせていないか。欲に任せて元気を損なっていないか。心を疲れさせすぎていないか。そうした日々の積み重ねによって、人は知らないうちに自らの身体を損なってしまいます。「十人に九人は皆みづからそこなへるなり」という言葉は、現代の感覚ではかなり厳しく聞こえます。けれどもこれは、人を責めるための言葉ではありません。むしろ、寿命には自分で守れる部分があるという宣言です。養生とは、命をあきらめないための知恵なのです。
長生きとは、ただ長く生きることではない
益軒がいう長寿とは、単に年数だけを伸ばすことではないということです。
身体を損なわず、心を乱さず、日々を穏やかに過ごしながら、授かった命を十分に生きること。そこに養生の目的があります。
ただ長く生きればよいのではなく、元気を保ち、心身を大切にしながら生きる。
だからこそ、益軒は何度も「養生の術」を学ぶべきだと説きます。養生とは、特別な健康法ではありません。食べすぎないこと。動きすぎず、動かなさすぎないこと。心を静かに保つこと。季節の変化に応じること。日々少しずつ身体を動かすこと。そうした小さな積み重ねが、命を守る力になります。
- 食べすぎないこと
- 動きすぎず、動かなさすぎないこと
- 心を静かに保つこと
- 季節の変化に応じること
- 日々少しずつ身体を動かすこと
現代への活かし方
現代では、医療も生活環境、食生活、全てのものが大きく変わりました。これは、より良い生活を追い求める人間の向上心の賜物であります。
しかし、それはある意味過剰になった時の反作用をも生み出すことにもなりました。
それゆえに、益軒の言葉はいまなお響きます。
なぜなら、私たちもまた、この現代社会の日々の生活によって身体を養うこともあれば、損なうこともあるからです。たとえば以下のようなことが毎日のように続いてしまいます。
- 睡眠不足が続く
- ついついお腹いっぱい食べすぎる
- 座りっぱなしになる
- 気持ちが張り詰めたまま休まらない
- 身体の声を聞かずに無理を重ねる
- スマホを見すぎる
- ソファーでごろごろしすぎる
以上のことはほんの一例に過ぎませんが、こうしたことが日常茶飯事に行われています。
これらがすぐに大きな病気として現れるとは限りません。けれども、少しずつ身体の余力を減らしていきます。
大切なのは、「自分の身体を粗末にしないこと」。
現代社会はとてもたくさんの誘惑があります。
この誘惑は、ときに人生を彩ることもありますが、あまりに度がすぎると身を崩すことになります。
どこまでが良くて、どこからが崩すのか、それはとても頃合いの難しいところであります。
でも、そこまで難しく考えなくても良いのではないでしょうか。
いつも全て完璧というのも面白いとは思えないですものね。
昨日より今日、少しだけ、少しだけでいいから、整える方向に戻ること。それだけでも養生であり、そこから体の変化は始まっているのですから。
源保堂鍼灸院としての考え
鍼灸院に来られる方の多くは、何かしら身体の不調を感じています。痛み、疲れ、眠りの浅さ、胃腸の不調、冷え、緊張感など、その表れ方はさまざまです。
これらの不調の背景には、日々の暮らしの積み重ねが関わっていることが少なくありません。
その積み重ねが限界点を超えた時に、その方の一番弱いところや、一番傷めたところに症状や病気というカタチになって現れるわけです。
もちろん、すべてを生活のせいにすることはできません。体質や環境、避けられない事情もあります。それでも、自分の身体を大切に扱う余地は必ずあります。たとえ元々の体質が弱かったとしても、どんな状況でもプラスα元気になる手立てはあるものです。
源保堂鍼灸院では、施術によって身体の巡りや働きを整えることと同時に、日々の養生を大切に考えています。
命は、一日で急に損なわれるものではありません。しかし、一日で急に整うものでもありません。
だからこそ、日々少しずつ養う。
その積み重ねが、未来の身体を作っていきます。
未来の自分を、『養生訓』の視点で見つけていきませんか?
まとめ
この章で益軒が伝えているのは、寿命をただ運命に任せるのではなく、日々の養生によって命を大切に保つという考え方です。人の寿命には、自分の力だけではどうにもならない部分があります。けれども、自分で守れる部分も確かにあります。飲食を慎み、身体をほどよく動かし、心を静かに保ち、日々の暮らしを整えること。それは大げさな健康法ではなく、命を粗末にしないための基本です。養生とは、長生きを競うことではありません。授かった命を、なるべく損なわず、なるべく穏やかに、なるべく十分に生きるための道です。
寿命は、ただ待つものではない。日々の養生によって、静かに守り育てるものである。
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定本として『養生訓・和俗童子訓』(岩波文庫)を使用
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源保堂鍼灸院・院長
瀬戸郁保 Ikuyasu Seto
鍼灸師・登録販売者・国際中医師
東洋遊人会・会長/日本中医会・会長/東洋脉診の会・会長
東洋医学・中医学にはよりよく生活するための多くの智慧があります。東洋医学・中医学をもっと多くの方に身近に感じてもらいたい、明るく楽しい毎日を送ってほしいと願っております。
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